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かってにインパクトファクター

子育てサラリーマンが日々の雑多なことをつらつらと綴ってます。時々政治ネタ経済ネタコンピュータネタなどをはさみます。

低収入でも子供は育てられる?

定収入でも子供を育てられるように発想を逆転しましょうって記事があってネットでずいぶんたたかれていました。

低収入でも子供を産み、育てられる「発想の転換」 : J-CAST会社ウォッチ

年収350万円のひとが子供を持つには、発想の転換が必要です。塾や習い事もなし、大学はいかないか、ネットでタダのもので学ぶ。大企業に入ることは諦める。単に子供が育てばよい。それで満足する。それでも子供を持つことの喜びは計り知れないでしょう。
私たちはもう一度、終戦直後の感覚を取り戻すべきです。若者は貧乏になったのですから、貧乏でも子供をうめるように発想を転換していくべきです。

これについては、貧乏人は貧乏人らしく生きろということか?ということが主な批判のようです。

実はわたしは、この記事の考え方に賛成です。

確かに、子供を育てるにはお金がかかります。
子供には習い事もさせたいし、いろんな体験もさせたいし、ハイレベルな大学に行って大企業に就職してほしい。
でも、そのための原資は両親の収入に依存しています。
その原資を活用して子供を幸せにしてあげるという発想ですよね。
そうなると、例えば私のように専業主婦+サラリーマンの家庭であれば、私が会社をクビになる、会社が潰れる、そうなった場合には一気に子供が不幸になってしまいます。

一番大切なことはなにか?それはどんな状況に置かれても幸せに暮らしていける精神力を身につけさせることだと考えています。
私に今お金があるから、子供は幸せなのだとすると、無事子供が大企業に就職したとしても、その後どこかで躓いて子供が貧乏になると、子供が不幸になってしまいます。
私が望んでいるのは、子供がなにかに失敗しても貧乏になっても幸せに暮らせることです。そうでなければ余程の資産がなければ人生チャレンジできないじゃないですか。

そのためには、私もお金が無くても幸せになれる方法を考えるべきで、子供にもそれを教えるべきです。

確かに、負は連鎖します。
私が大学院に行っていた時、周りの友人はかなりの確率でお金を持った家でした。

その場合、改善するべきは各ご家庭の収入でしょうか?それとも、お金が少ない家でも大学、大学院に行けるような環境にすることでしょうか?

私は後者だと思います。

そのためにも、各家庭では、例えお金が無くても、どんなところでも楽しめるよう子供を育てることであり、行政として、負の連鎖が起きにくいような教育を学校で施すべきなんだと思うんです。

必要なのは、
「これをするためには、これくらいのお金が必要になる」
ではなく、
「これくらいのお金があれば、これくらいのことが出来る」
という発想と、”これくらい”のことでも楽しめるかどうかは自分次第なんだという考え何だと思います。


上記記事でも、次に

子育て費用3000万と脅して、定職に就けない親は欠陥品であるかのように非難するよりも、年収300万でも子供は育つ、大学にいかなくても子供は死なない、といったことを啓蒙するほうがはるかに有意義でしょう。

と言ってます。

ただ、どうしても親にできない部分があります。
それは、
”周りに参考となる人がいないと、子供はその職業について発想を持てない”
ということ。
例えば、私の周りには弁護士、政治家、官僚、棋士、まともな実業等々を職業としていて日常会話出来る人がいなかったので(火の車で自転車操業事業を拡大させる気のない実業家はいた)、それらになる発想なんて全くなかったです(これらは、私が物理系・工学系の道にどっぷり使った後にそんな職業もあるんだと知ったものです)。
大学に行った人もいなかったし、当然大学院に行った人もいなかったです。なんせ田舎の村でしたから。
ただ、唯一、小さい頃の夢が”科学者”になることだったので、呆然と大学院までは行こうと思っていたことが今につながっています。

中学生から高校生くらいのタイミングで、世の中にはいろんな職業があるんだよということと、だれでもその職業につける可能性があるんだよということを子供に知ってもらう。そのために親ができない部分を行政が担ってくれればいいなと思います。