かってにインパクトファクター

子育てサラリーマンが日々の雑多なことをつらつらと綴ってます。時々政治ネタ経済ネタコンピュータネタなどをはさみます。

10年なんてあっという間

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十年前の今日の3時頃、私は東京の本郷あたりで打ち合わせしてました。

突然大きな地震が発生して、外を見ると街灯が大きく揺れてる。打ち合わせに出てた一人は冷静にドアを開けて固定してました。机は頑丈ではなかったんですがもぐってる人もいました。地震がおさまったので、一旦外に出ようかと。この建物耐震じゃないんだよねと。そんなことを言いながら外階段で一階に。

外に出ると同じような人がぞろぞろいました。みなさんスマホでどうなってんだと調べている時にも余震は起こります。打ち合わせなんてやってる場合じゃないですねということで、その日は解散になりました。

ちなみに私は当時はスマホ持ってませんでした。会社貸与のものも。

後日調査の結果では、三分の一は居酒屋に、三分の一は会社に、そして残りが頑張って変える組だったかなと思います。

 

私は真っ先に帰りました。家には家族はいなかったのですか、飼っているハムスターが気になって。。。

 

最初は歩いて帰ろうとしたんですが、しんどくなったのと、ちょうどバスが来たので、バスに乗ったんです。でも、とろとろ走って30分くらいで止まってしまって、歩いたほうが早いですよとアナウンスあり、私もそのタイミングで降りました。料金は請求されませんでしたね。とりあえずSUICAをタッチしたのですが引かれたかどうかは把握してないです。錦糸町手前でした。

 

そこから千葉に向かって歩くんですが、歩いているのに車にぬかれた覚えがないですね。車はずっと殆ど止まっていた印象です。もう大行列でぞろぞろと民族大移動ですよ。

ときどき自転車屋さんもあったんですが行列が出来てましたね。

 

当時はバソコンも重くて、資料もたくさん抱えていたので、かばんがすごく重くて大変でした。

四時間くらい歩いて船橋あたりまで来ると、車の混雑も薄れていたので、そこからタクシーに乗って無事家につきハムスターを見ると無事だったのでホッとしました。夜11時くらいだったと思います。

そこまでは、外部から何も情報が入ってこなかったので、日本がどうなっているのかほぼ把握してませんでした。テレビをつけると千葉のコンビナートが燃えていたり、津波が発生したりでひどいことになっていて、驚いたと思うんですが、実はこのあたりよく覚えてないんですよね。テレビ見てボーゼンとしてたみたいです。テレビの映像が燃えていたのだけど覚えてます。

 

その日は金曜で翌日西友に行くと、お店にあまりものもない感じ。実家から荷物送ろうかと言われたんですが、到着しないと思うし不要だよと返しました。

一応物は少ないですがないわけでもなかったのもあったと思います。

 

月曜は出社。びっくりするくらいの満員電車。もう隙間もないくらいギューギューなんですが、どこかの駅で、「障害者手帳ありますっ」と入り口からほぼ手だけを優先席に伸ばして来た人がいて、私の前の座っている人が立つ場所もないのに無理くり立ち上がって、障害者手帳を持っている方がズバーっとすべりこんで座ってました。見た感じ体には障害はなさそうでした。

あれ見た時、体の障害がないなら、今の状況では関係ないじゃんとか、優先席って言っても、誰も優先できる状態ではないじゃんとかも思ったんですが、それよりもこんな状況でも休めないのか、休むとまずいことになったりするのか?と思いました。

 

当時は今と違って、在宅ワークの環境も整っていなかったので、会社としても、そもそも判断が出来ず、また伝達もスムーズに出来なかったんだと思います。

なんせ私も出社してますが、その日は特に仕事なかったですしね。

ちなみに障害者雇用でいうと、コロナ渦において弊社でもほぼ誰もいない事務所を巡回されてたりします。出てこなくて良いよとなると、遠隔でできる仕事ではないから、雇用を守る上でも、使わざるを得ないのかなと、ジレンマを感じます。

 

弊社の方針は、まずは顧客の被害の把握と、そこに何ができるのかにフォーカスしてました。なので、提案最中だった私は急ぎの仕事なし。

なぜか営業さんのフロアは空でした。

今なら完全在宅で、お客さんともメールと電話で連絡して、出社0人で対応できるでしょうね。

ただ計画停電されるとネットワークが使えなくてテレワークもできませんけど。

(バッテリーがあれば計画停電されても家から仕事できるますし、あの状態なら出社するより何万か払ってでかいバッテリー買ったほうがましですね。今からでも買っとくか)

 

会社でもみなさん地震原発の話題ばかり。私は原子核系の研究してたので多少は分かってたと思ってたんですが、先輩から原発大丈夫なの?と聞かれて、「大丈夫ですよ!」って言ってる最中に臨界がーとかニュースで流れて、「臨界超えたらまずいですね」なんてのんきなこと言ってました。

震災以前は、原発とか見学に行って色々聞いても、あれも対策済みこれも対策済みと回答されました。対応されている方も下手に、ここは弱いですねとか言おうものなら、原発反対派に何言われるかわかったものじゃないので、思っていても言えなかったのかしれません。

誰も、ここまずいですって言えないと、どんなによく考えられたものも、事故ることがあるってことですよね。なんせ運用するのは人ですから。

 

震災何日後かは覚えてないですが、提案中のお客さんと導入システムの調整をしてたんですが、打ち合わせの最中にお客さんのスマホにメールの着信があって、お客さんが確認したら、会社から帰れと指示が来たとか、その直後に私のメールにも総務から帰りなさいとメールが来たり。東京のサラリーマンが一斉に帰るので電車は地獄絵図に。

 

とはいいつつも、関東圏は大変だったよねのレベルでしたが、ニュースでは東北がめちゃくちゃになってて、本当はあの震災の惨事を見たかったんですが、未だ実現できてません。

 

今はコロナですが、東京はまだ直下型の地震が起きるリスクが十分にありますし、富士山の噴火による社会の麻痺もありえますよね。あらゆるリスクに準備することは出来ないですが、覚悟はしないとねと日頃から思っているのですが、どうしても対処する優先順からは下がってしまいます。

 

子供らもそろそろ色々わかる年です。ユーチューブの映像はときどき見せているんですが、一度は東北に行って、じっくり考えると時間をもたせたいなと思う十年目でした。